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日本のROCK

MAN WITH A MISSION もONE OK ROCKも無理なので昔のを紹介することにした。​

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RCサクセション

記念すべき一発目は誰か????

散々悩んでのRCサクセション。なぜなら人前でバンドデビューした一発目が1980年リリースの♪トランジスタ・ラジオだから。高校の文化祭だった記憶。

忌野清志郎をリーダーとし、「King of Rock」「King of Live」の異名をとるなど「日本語ロック」の成立や、現在日本で普通に見られるロックコンサート、ライブパフォーマンスのスタイルの確立に大きな影響を及ぼした。実際、RCサクセション に影響を受けたと公言するミュージシャンは非常に多い。共通語のイントネーションにこだわった楽曲製作が特徴で、曲先の場合でも、イントネーションがおかしくなった場合は、メロディーを修正してでもイントネーションを正しくするという手法を取っていた。また、促音を強調し、日本語のメリハリを強調するという発声法を1970年代半ばから続けていた。日本語をはっきり明瞭に歌うというスタイルは、後に甲本ヒロト真島昌利(共にザ・クロマニヨンズ)、どんと(BO GUMBOS)、水戸華之介(アンジー)、宮田和弥 (JUN SKY WALKER(S))、中川敬ソウル・フラワー・ユニオン)、YO-KING真心ブラザーズ)、宮本浩次エレファントカシマシ)、トータス松本ウルフルズ)、佐藤伸治フィッシュマンズ)などの数多くのフォロワーを生む。

サウンド的なルーツは主にビートルズベンチャーズなど1960年代中期に日本で人気のあったロック、ブラザーズ・フォアピーター・ポール・アンド・マリーなど1960年代に日本で人気のあったフォーク、オーティス・レディングを筆頭としたソウル・ブルース系のミュージシャンで、多くの楽曲で彼らのオマージュを行っている。ライブにおいてジェイムス・ブラウンのマントショーを再現することもしばしばあった。前述の促音を強調をするきっかけになったのがオーティスの「ガッタ、ガッタ」シャウトだったり、「愛しあってるかい?」のフレーズがオーティスのMCからの意訳だったりと、オーティスからの影響は非常に強く、清志郎自身も最も影響を受けたミュージシャンの一人としてオーティスの名を挙げている。

 

ということで、忌野がオーティス・レディングの言葉を日本語にしてステージ上で観客へ呼びかけた「愛しあってるかい?」というフレーズは有名。

​初期はあの三浦友和もバンドメンバーであった。

1991年より無期限の活動休止状態に入ったまま復活することはなく、2009年に忌野が死去したことにより、事実上バンドは解散となった。

ライブの定番OPENINGの♪よォーこそ

同じくライブの定番♪ドカドカうるさいR&Rバンド子供だましのモンキービジネース~♫、♪midnight_blue

1980年♪雨あがりの夜空に

1982年♪SUMMER TOUR

1982年♪ つ・き・あ・い・た・い

1983年♪ベイビー逃げるんだ

 

その後反政治色を強め、

1988年リリース『COVERS』より、

LOVE ME TENDER (放射能はいらねぇ!)

SUMMER TIME BLUES (原子力はもういらねぇ!)

キヨシロー。2009年5月2日に癌性リンパ管症のため死去。58歳没。

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​NOBODY

編集中。

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